いろいろありました1

 私は今年50歳になった。長く生きてきたものだと思う。

一昔前までなら50代で亡くなる人も多くいたことを考えると、あとどのくらい生きていられるのかとも考える。

いろいろな事があった。4歳の時におなかに水がたまる病気になり1か月ほど入院した。

何せ幼い時の事なので記憶が定かでないが、手術室に運ばれ麻酔により眠くなる中で医者の顔がぼやけていったのを覚えている。

目が覚めると親が私の顔を心配そうに見ていた。

その時の手術痕が今も残っている。

結構な大きさなので麻酔が覚めてからは痛かったのではないかと思うが、不思議と痛かったという記憶はない。

何も知らずに私は弟と病院の屋上でよく遊んだが、後になって親が「こんな小さな子供が手術をする事になってかわいそうだった」と言っていた。

「そんなことを考えていたのか、それならもっと優しく接してくれたらいいのに」と思った。

6歳になり小学校に入学した時に「ここに6年も通うのか、長いなぁ」と思いながら校舎を眺めた。

1年生は学校に不慣れだという事で、音楽室など別の教室に行くときはクラスの子供が二列に並んで教師が連れていった。

しかし、私と隣の女の子だけがはぐれてしまい、女の子が泣き出した。

「泣くことはないだろ、音楽室ぐらいすぐにわかるやん」と思っていたら本当にすぐに分かった。

冬になると私ともう一人の子供だけが放課後に残され、教室の後ろにあるストーブの前で授業中に書いた作文を何度も書き直させられた。

はっきり覚えていないが1週間は残されたと思う。

すぐに帰れる人がうらやましく「自分はよほど作文が下手なのだろう、だから残って書き直すように言われるのだ」と考えて嫌だった。

それからほどなく私の作文が学校の文集に載った。

5年生の時に書いた詩が新聞に載った事もあった。

私のプチ自慢だが、それにしては勉強は出来なかった。

テストが戻ってきても親に見せるのが嫌なので、学校帰りに農家の人が連れてきていたヤギに食べさせていた。

30点と書いてある所から食べさせ、「早く食べろ」と思った。

机の中は親に見せられないテストでいっぱいになり、すぐにバレた。

さすがに「全て捨てるのはまずい、いつか親に見せないといけない」とと思いながらも何か月もため込んでいた。

いつかはバレるしかし引き伸ばしたいという憂鬱な時間が小学校の間続いた。

子供会のソフトボールをしていたという事も勉強が出来なかった原因としてあると思う。

殆どの子供が5,6年生になってから参加するところを私の親は1年生から練習に参加させた。

今にして思えば5,6年生の中に一人だけ1年生がいる訳だから、ほかの子供や指導者は「なんで1年生の子供を連れてくるのか」と考えたと思う。

私としても同級生はみんな遊んだり勉強している中で自分だけが野球をする事を強制させられているので嫌で仕方がなかった。

親をのやり方をどうこう言いたくはないが、もっと他の子供と同じ様に勉強したり遊ばせたりという風にしてほしかった。

 

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