人はなぜ生きるのか、何のために生きているのかと聞かれたら、「幸せになる為」と答える人が多いと思います。
毎日朝早くから仕事に行くのも、買い物に行くのも、友人とおしゃべりするのも不幸になる為にやっている事は一つもありません。
でも、幸せである人もいれば、そうではない人もいます。この違いは何なのでしょうか。
「そりゃあ持って生まれた能力や、運不運があるからでしょ」と思う事も多いですが、その他にもあるのではないか。
どんなにお金があってもいつもカリカリしていて、人から嫌がられている人もいれば、そんなに大金持ちではなくても周りには人が集まり、仕事も家庭もうまくいっている人もいます。
この差は、たぶん心の持ち方なのだろうと思います。
「我」が強い人はうまくいかず、人も為に行動する人は人生もうまくいく。
人の為に行動する事がひいては自分の為になると言う事です。
「なぜ他人の為に行動しなければいけないのか、自分さえ良ければいい」と思っている人と、周りの人の事をいつも考えている人。
どちらの方がうまくいくか、周りに人が集まるか、言うまでもない事だと思います。
つまり、人生は周りの人の事を考え、他人を笑顔にしたいと考える人の方がうまくいく。
いつも不平不満を言ったり、他人の悪口を言っている人にうまくいっている人がいないのは当たり前です。
人の為ではなく、自分の事しか考えていないから不平不満しか出てこないのです。
それを聞いている周りの人達も、「この人は何でこんな事ばかり言うのか」と内心思っています。
例えば、自分よりすごい人を見て嫉妬心を持つ人は、「あいつ面白くない、失敗すればいいのに」の様な事を平気でいう人もいます。
他人の事を考えられる人は、「すごいですね」と褒める事が出来ます。
本当にその人の事を考えていれば当たり前に出来る事なのです。
その他にも、人前で緊張してしまうのは、「恥をかきたくない」「人に見られたくない」と考えるからで、「この人達をどうしたら喜ばせてあげられるだろう」と考えられる人は、緊張しないのだそうです。
いじめをするのは、他人に恥をかかせて価値を低下させて、自分の劣等感を満足させる為ではないでしょうか。
いじめをしている人にうまくいっている人がいないのは当たり前で、その人自身が「自分さえ良ければ他人に何をしてもいい」と言う独りよがりな考えを持っているからと言えます。
自分さえ良ければいいと言う考えの人がいると、家庭も職場もぎくしゃくするのは当然だと思いませんか。
「与えよ、さらば与えられん」とキリストは言いました。
「そんな事出来ないよ」ではなく、今から他人の事を考えて行動する事を始めてみませんか。