怪僧ラスプーチン

 今から約100年ほど前のロシアにロマノフ家と言う王朝がありました。

このロマノフ王朝は、この当時の全世界の国家予算の10分の1に当たる財産を有していたと言われています。

しかし、いい事ばかりではなく、ロマノフ王朝の皇帝ニコライ2世の長男であり皇太子のアレクセイが血友病で無事に成長する事は出来ないと言われていました。

後継者が必要な王朝にとっては怖い病気だったはずです。

血友病とは、出血した時に血を固めるタンパク質である「血液凝固因子」が生まれつき少ないか欠乏している為に血が止まりにくくなる病気で、現代でも完治は難しいとされています。

どの医者に見せても治らなかったこの病気を、ラスプーチンと言う僧が加持祈祷をすると病状が回復していきました。

どの様な方法で現代でも完治が難しい病を治すことが出来たのか今でもわかっていませんが、催眠療法の様なものではないかと言われています。 

このラスプーチンと言う人物、1869年にシベリアの農家の家に生まれましたが、田舎の村では学校に通わせることが難しかったために読み書きが出来ませんでした。

18歳の頃には結婚もしていましたが、ある日突然「聖母マリアの声が聞こえた」と言って村を出て行ってしまいます。

数か月後に戻ってきたラスプーチンは村の人を驚かせるほどの変貌を遂げていました。

誰もわからないほどの容貌に代わり、予言する力や難病を治すことが出来る様になっていました。

1904年頃にサンクトペテルブルクと言う当時の都にやってきたラスプーチンは人々の病気を次々に治していき神の様に崇拝されるようになっていきます。

この噂は宮廷まで届くようになりニコライ2世は、藁にもすがる思いでラスプーチンを呼び出したと言われています。

皇太子アレクセイが病気になるたびに呼び出されるようになり見事に治してみせたラスプーチンは、絶大な信頼を得て国政にまで口を出せるようになっていきます。

しかし、それを面白く思わない宮廷の人も多く、ニコライ2世が第1次世界大戦で宮廷にいない事が多くなると嫉妬と憎悪が増大していきます。

1916年12月29日、貴族の晩餐会に招待されたラスプーチンの料理には致死量の青酸カリが入っていましたが、全て平らげて平然としていました。

食事に対しての祈りを捧げている後ろから拳銃の弾丸2発を受け、倒れた所を殴る蹴るの暴行を受けてもまだ息があった為に、絨毯で簀巻きにされ凍り付いた川に投げ込まれ絶命しました。 

ラスプーチンは、生前予言をしていて「私は殺されるでしょう、私を殺すのが農民ならロシアは安泰ですが、王朝の中の人物なら陛下とご家族は悲惨な最後を遂げる事となるでしょう」と言っています。

この予言は的中し、ロシア革命によりロマノフ家の一族は全て亡くなっています。

余談ですが、ロシアンルーレットは、ロシア革命の時に度胸試しで始まったと言われ、ラスプーチンの孫がプーチン大統領だと言われています。

 

 

 

無料相談ご予約・お問い合わせ

トップへ戻る

電話番号リンク 問い合わせバナー