Archive for the ‘未分類’ Category

いろいろありました13

2019-04-08

 結局、私は希望した大学にって入る事が出来ずに浪人する事になった。

高校の卒業式の時に「自分には行くところがないのか」と考えるとむなしかった。

今度こそ中学の時の二の舞にはならないと思っていただけに「また同じ結果か」と落ち込んでしまい卒業式どころではなかった。

考えて見えると、高校に行ってから勉強を本格的に始めたので、それで大学に行こうと考えるのが虫が良すぎたというのもある。

「まあ、仕方がない、小学校から勉強してきた人を高校の3年間で追い抜こうと考えるのは無理だった」とも思った。

別の高校に行っていた中学の同級生が自分の第一希望の大学に合格したのもショックだった。

「今度こそこの人には負けない」として勉強したのに、「やはりどんなに頑張っても頭がいい人にはかなわないのか、一生この人を追い越せないのだろうか」とも考えた。

中学の時に男子で一番成績が良かった人は、慶応大学に入れたという事だった。

自分とその人は全く違う、どんなに頑張ってもどうにもならない分厚い壁がある様な気がした。

予備校が始まるまでの間が長く、むなしい時間だった。

誰もが思う事だが予備校に行った人は、現役の人よりはいい大学に行きたいと思うし、かなりいい所に行かれると考えている。

しかし、現役の時よりはるかにいい大学に行かれる人は少数だ。

予備校のパンフレットには成績が伸びた人を載せるので、そのような人が多いような気がするだけで、ほとんどの人が現役の時に受けてダメだったとことに行かれるか少しいい所には入れるぐらいだ。

下関にはそんなにいい高校がないから浪人するのが当たり前になっているが、現役の時に入れる大学に行く方がいい。

何事も後になって分かる事が多いが、浪人をしてもしなくてもその人の能力が変わる訳ではないのだから就職先はそんなに変わらない。

せっかく国立大学に行かれるのにもっといい所に行きたいからと浪人するのはもったいない。

何より経済的に問題があるだろう。

予備校の入学金は50万だった。

誰かが「なんで50万もかかるのか、親に頭が上がらんわ」と言った事を覚えている。

東大進学コースなどに入る事が出来た人の授業料は免除されたりする制度もあった。

と言う事は、私の様に出来の悪い人は頭のいい人の授業料を払わされているという事になる。

しかも、下関から予備校に行く人はいい高校に行った人ばかりで、私を含めて私と同じ高校から予備校に行った人は肩身が狭かったと思う。

「お前らが浪人しても何になる」と言う雰囲気を感じた。

いろいろありました12

2019-04-07

 私の住んでいる地域では8月の中頃と終わりに祭りがある。

高校三年になっているので祭りどころではなく勉強をするしかなかったが、夏休みも終わりかけている頃に中学生の同級生だった女子が自殺したという話を聞いた。

その同級生は女子で一番頭がよく、九州で最難関の大学を目指しているという話だった。

葬式に行った人の話では、母親が「〇〇大学を目指して頑張って勉強していたのに」と言って泣いていたそうだ。

その大学に入るのが難しいと塾で言われたことが原因とも人が話していた。

気の毒な事だが、私の様に出来の悪い人からすると「そんなにいい大学に行かれないからと言って死んだりする人がいるのか、自分なら日本で一番簡単な国立大学でも喜んで行くけど」と思った。

まあ世の中には東大に入れなくて死んだりする人もいるらしいから、その人の価値観と言うか物の考え方が私とは違うという事なのだろう。

難しいのかもしれないが、あまり自分を人より高い所にもっていかない事だ。

これまでの私の経験からすると、人の能力と言うのは思っているほどの差はない。

「自分はこんなに頭がいい、だから自分より成績の悪い人に一生負ける事なんてありえない」と考えるのはその人のおごりだ。

中学生か高校までは、勉強ができる事が全てと言っていいだろう。

親や教師も勉強ができる子供を褒めるし、勉強以外のことが出来てもそんなに価値がない。

だから勉強ばかりする人が出てくる。

学年でトップだった人が社会に出てからもうまくいくとは限らない。

私の周りを見ても、いい大学に行って公務員になっていてもそんなに出世できていない人もいるし、そんなにいい大学に行かれてなくても偉くなっている人もいる。

人間は人を見下したり、「自分は勉強してもダメだ」と思って早くから諦める必要はない。

自分に運が向いてくるまで頑張ってみる事だ。

「いい大学に行った人には一生叶わない、だから勉強しても仕方がない」と考えている人が多いと思う。

確かに頭がいい人がいる。

しかし、頭がいい人もそうではない人も小学校入学から高校までの12年間と言う同じ時間しか勉強することが出来ない。

同じ時間しか勉強しなかったら、もともと頭がいい人の方が結果がいいのは当たり前だ。

その人以上に努力をしてみるしかない。

どんなに頭がいい人でも人生で一度も失敗をしたことがない、何の試験にも落ちたことがないという人はいないだろう。

自分が思うような大学に行かれそうにないから自殺するのではなく、入れた大学で頑張ってみる事だ。

大学で一生が決まる訳ではないのだから。

 

いろいろありました11

2019-04-06

 高校3年になっていよいよ大学受験の為に、遊ぶこともやめて勉強をする人も多くなってきた。

夏休みに入り、予備校の夏期講習に参加するので毎日朝から晩まで予備校にいた。

そんな中で予備校の講師から夏期講習に参加する予定だった人が来ていないという話を聞いた。

高校野球の福岡県予選でエラーをしてしまい、それが元でチームは敗退したという事だった。

かなりの進学校の生徒で、私がそのエラーをした人の立場なら「こんなにいい高校に自分が入れるなんて」と思って喜んで予備校に行ったと思う。

その人がどんな状況か分からなかったが、たぶん周りからかなり責められたのだろう。

そうでなくても本人は「チームのみんなに悪い事をした」と考えているのに余計に追い詰める様な事を言う人を多く見てきた。

もう少しで甲子園に行くことが出来るという所でのエラーだったので、腹が立つ人もいるのだろうが甲子園に出たからと言って進学や就職に有利になる人はほんのわずかだ。

記念にはなるだろうが、野球ぐらいでそんなに文句を言う人の気が知れない。

こういっては何だが、野球が少しくらい上手でもプロに行くことが出来る人は一部なのだから楽しんですればいい。

どんなにいい選手でもエラーをしたことがない人はいないし、進学校なら甲子園に行ったりせずに早く勉強をする方がいい大学に入れて将来の為になると私は思う。

なんと心の狭い人たちがいるものだ。

私も長く野球をしていたが、エラーをした人に文句を言ったことは一度もない。

自分がピッチャーをしていてエラーをされると確かに腹が立つこともあるが、一生懸命にやって負けたのなら仕方がないだろう。

文句を言っている人を横目に私は「この後何をして遊ぼうか、コンビニで漫画でも立ち読みするかぁ」と思っていた。

やるだけの事はしてダメだったらさっと切り替える事だ。

野球で勝とうが負けようが人生には全くと言っていいほど影響はない。

私のこの考え方は、かなり健全だと思うのだがどうだろうか。

その後エラーをして夏期講習に来なかった人はどうしただろう。

勉強も手につかずに、そんなにいい大学に行かれなかったのではないだろうか。

30年以上も前の事だが、もしかして今も悔やんでいるのかもしれない。

周りの人は自分が同じ立場になるかもしれないのに、いろいろ無責任に言ったりするものだ。

そんなに気にする必要はない。

たかが野球ぐらいの事で人の人生をぶち壊すような事をする方がおかしい。

いろいろありました10

2019-04-05

 そういえば私が小学校4年生の時に同じクラスの女子が事故死した。

私の同級生は幼稚園から中学生の時まではほぼそのまま同じメンバーのままだったが、初めてその様な事があり「身近でこんなことがあるんだ」と思った

親戚が遊びに来て料理などをした後にガスの元栓を閉め忘れたらしく、そのまま昼寝をしている間に亡くなったという事だった。

私は個人的に話をした記憶がないが明るく誰とでも話をする子だった。

その当時の事をあまり覚えていないが、確か葬式には風邪をひいていく事が出来なかった。

この頃の私は勉強は出来ずに風邪をひくという間が悪い子供だった。

5年生になった時に担任の女性の教師が、「〇〇さんは10歳までしか生きる事が出来ずにかわいそうですね」と言って泣いていた。

私のいた学年はあまり噂のいい学年ではなかったので、泣いている所を見て「これはまずい」と思ったことをよく覚えている。

その翌日からの授業は荒れ放題だった。

この女性の教師の人はかなり悩んでいたのではないかと今になって思う、何度も子供が言う事を聞かずに泣いている所を見た。

確かに亡くなった子はかわいそうだが、誰もいない所で泣くべきだった。

そんなに出来がいい学年でない事は分かっていたはずだし、そうでなくても女性教師と言う事で甘く見られる可能性があるという事が分かっていたら泣いたりしなかったのではないか。

自分の感情を優先してしまった所が、この女性教師がその後に悩む原因になってしまったともいえるだろう。

西城秀樹のヤングマンが大ヒットしたのがちょうどこの頃で、昼休み中誰かが持って来たラジカセを大音量にしてクラスの男子全員で踊ったら5時間目の授業が学年担任がきての説教になった。

リーダー格の男子生徒は教壇の机の上に乗って踊っていた。

私はこの光景を見て「まずいんじゃないか、これは」と思い図書室に行った。

しかし、私も含めて男子全員が怒られた。

「なんで一緒に怒られないといけないのか、踊ったりしてないのに」と思ったが、まあ途中までは見ていたので仕方がないのだろうか今だに釈然としないが。

また朝の朝礼の時に全員で詩を書くように言われて書いていた。

この時の詩が朝日新聞に載って小さい賞状とバッジをもらったことがあった。

賞状にはあなたの詩は優れています、この調子で勉強の方も頑張ってくださいと言う様な事を書いていた。

勉強が出来る事が前提の内容に「嫌な事を書いてあるなぁ」と子供ながらに思った。

 

いろいろありました9

2019-04-04

 高校二年生の間はまあまあの成績だったが、あくまでも高校の中での話で全国模試ではとてもいい大学に行ける状態ではなかった。

市内にある大学の推薦を狙うのなら高校の成績が大切になるが、そうではないのなら全国模試の方を重視しないといけない。

しかも、この二つの勉強の仕方が少し違っていると思った。

「どうする、推薦を受けるか一般入試を受けるべきか」と少し考えた。

周りの人は「推薦を受ける方がいいんじゃない」と言う人が多数だったが、私は一般入試で大学に行きたかった。

推薦と言う事は一般入試では入れる自信がないという事になると思うと嫌だった。

「高校入試のような失敗はもうしない、今度こそいい大学に実力で行って見せる」と言う思いもあった。

「いい高校に行かれた訳でもないのに、推薦を受けた方がいいかも」とちょっと考えた所もあったけど。

じゃあどこの大学に行かれるのかと言う事になると、「福岡の〇〇大学なら夢ではない」という程度だった。

これを言ったのは担任の教師で、自分でも「まぁ、そんなものかなぁ」と思った。

心の中ではもう一ランク上の大学を狙っていたが、下関で一番いい高校に行っても簡単ではないので現実問題としてはとても無理だった。

しかし、諦めきれない何とかしたいので朝5時まで勉強してみた。

そして7時には起きて学校に行く。

2時間ぐらいしか寝ていなかったが特に寝不足できついとは思わなかったし、授業中に眠たくなることもなかった。

17,8歳で体力があったという事もあっただろうが、こんなに寝なくてもどうにもならないものなのだと思った。

もう一つよく思ったのが、「ナポレオンは三時間しか眠らなかったというけど自分の方が睡眠時間が短い」と言う事だ。

まあ、単純に睡眠時間を比較しても仕方がない。

この様に歴史上の偉人と比較して自分の方が優れていると考えてしまうのが今になってみると高校生のお子様の考え方だった。

夜中に勉強していると昼間より時間が長く感じた。

「日本中で今起きているのは自分だけなのではないか、こんな時間まで起きている人がいるのだろうか」とよく思った。

こんな時にテレビでは「〇〇ちゃんよく頑張っているね、お夜食を持ってきたよ」と言うシーンよく見た事があった。

しかし、うちの親は熟睡しており夜食を作る気配もないどころか、大きないびきが聞こえてくるばかりだった。

二人とも働いていたのでとても起きたりできなかったのだろうという事が今は分かるが、当時は「うちの親はなんて薄情なんだ」と思って勉強をしていた。

 

いろいろありました8

2019-04-03

 高校一年の間自分なりに結構勉強をしていたが、あまり思う様な成績を取れなかった。

春休みの間も一年生の復習をして二年生では何とかなる様にと考えた。

最初の中間テストの成績が100人中15番だった。

私にしては「まあ、自分にしてはいい成績じゃないの」とぐらいに思っていたら担任の教師が「中村お前頑張ったの、かなり成績が良くなったじゃないか」と言ってきた。

私としては一年生の時から頑張っているのにようやくまあまあの結果が出たぐらいで「こんなに時間がかかるのかぁ、そんなにいい高校に行かれた訳でもないのに15番だからって喜べない」とも思っていた。

だが、いい事もあった。

周りの見る目が変わった事だ。

男子校で日常的にいじめがある学校だったので、大人しい人や成績の悪い人はかなり嫌な思いをしていたと思う。

昼食時になると他の人の昼食を近くのスーパーまで買いに行かされる人もいた。

煙草を吸ったり人の嫌がる事をするような人たちでも、勉強ができる人にはそのような事をしないという事なのだろう。

こういう点に関しても「なるほど、勉強は自分の為にもする方がいい」と言う事がいまさらのように分かった。

しかし、喧嘩は絶えない学校で誰かが言い争いになると他の人は面白がって机やいすをわざわざどけて喜んで見ている様な所だった。

授業などはひどいもので、英語の和訳を誰かに当てると答えられる人がまずいないのでそのまま何もせずに時間が過ぎていく。

教師の人も「こりゃダメだ」と言う感じで、ただ何もせずに座っているという状態だった。

他の教科も同じ様なもので、教科書の半分も進まないまま3学期が終了する科目がほとんどだった。

「自分で参考書を買って勉強をするしかない」と思うしかなかったし、英語の単語一つとっても覚える量が中学生の頃とは格段に多いので、どんなにいい進学校に行ってもみんなそうやっているはずだとも思った。

帰りの電車の時間ぎりぎりまで書店で自分が理解できる参考書と問題集を探した。

「自分はそんなに頭がいい訳ではないので難しい参考書にしても分からない、進学校に行った人のまねをせずに一番簡単なものを選ぼう」と思いそれを何度でも反復してやってみる事にした。

私が選んだのは、あまり人が知らないような大学ばかりが出題した過去問が載っている参考書と問題集だった。

この参考書と問題集は、今も私の机の中にある。

かなり使い込んだので傷んでいるし、重要だと思った所には赤線を引いてあったりしている。

何度も何度も繰り返しやり直した。

「何とかしたいと思って必死だったのだろうなぁ」と自分の事ながら感慨深いものがある。

この頃の気持ちを忘れない様に勘違いする事がない様にしないとと、この参考書などを見るたびに思う。

いろいろありました7

2019-04-02

 中学3年になってからは、結構一生懸命に勉強をした事を覚えている。

何とか理解できる様になりたいと思い、ノートを真面目にとったりもしたが私の頭では難しくどの教科も分からなかった。

英語は特に理解できず暗号を解読するのに等しかった。

勉強ができる人がうらやましいというより、あきらめの心境だった気がする。

進路指導の三者面談の時に担任の教師と親の表情が険しく、私自身は「まぁ、しょうがないよね」ぐらいの感じだったが「お前はどうするんだ」と言うプレッシャーと長い沈黙が続いた。

帰り道で「多分高校入試はもうどうしょうもない、でも絶対にあきらめない必ず高校に行ってからは挽回してやる」と思いながら歩いた。

案の定、希望していた高校には入れなかった。

いい高校に入れた人は、春休みの間に遊びに行ったりして楽しそうだった。

思う様な所に行かれなかった人は、遊んだりしている所を見る事はなかった。

しかし、私は遊んでいる人たちと一緒になって出来るだけ外に出るようにした。

「別に他の人に迷惑をかけている訳でもないし、この経験を忘れない為に人が遊んでいる姿を見ておこう、3年後は必ず見返してやる」と思った。

高校に通う様になっても陰鬱な気分のままで通学路につつじの花がきれいに咲いていたが、そのきれいさが「入学おめでとう」と言っている様で嫌味にしか思えなかった。

親を説得して野球をせずに塾にも通って勉強をした。

だが、高校の勉強は難しく今まで勉強していない人がすぐに分かる訳がなかった。

夏休みの間に小学校の教科書からすべてをやり直した。

英語の意味の分からない単語は、すべて書き出して辞書で引いた。

何とか大学に行きたいという一心だった。

しかし、思う様に成績は伸びなかった。

時々それなりの結果を出せるものもあったが、総合点で見ると散々な結果だった。

「何年も勉強してきた人にそんなに簡単に追いつける訳がない、時間がかかるのは仕方がない」と思った。

1年生の時の2学期の期末テストだったと思うが、国語の成績が良く学年で7番になり参観日でそのことを聞いた親が喜んで電話をしてきた。

なぜ親の方が先に国語の点数を知ったのか今となっては不明だが、たぶんそんなに期待していなかったので見もしなかったのだろうと思う。

私も「本当!」と言って驚いた。

いかに出来が悪かったかがうかがい知れるが、「なんとなかるのかもしれない」と思えるきっかけになる出来事だった。

それまでとは違う張り合いが出てきたと共に、勉強時間を増やしてみようと思った。

いろいろありました6

2019-04-01

 私の中学時代は、ただ野球をして授業は聞いていないという毎日の繰り返しだった。

素行が悪い者も多く、練習中に菓子を食べたりジュースを飲んだりするのは当たり前でたばこを吸う人も多くいた。

雨が降ると紅白歌合戦と称して歌を歌う事を強要されたりした。

恥ずかしがっていてもしょうがないので明るく振舞っていたが、内心嫌で仕方がなかった。

私の学年は男子が115,6人ほどおり、そのうちの25人ほどが野球部に入部した。

最後まで残ったのは12,3人ほどで、その半分がレギュラーになれそうにないからやめていき残りの半分は上級生によるいじめにより辞めざるをえなかった人たちだった。

今考えてもひどい状態だったし、顧問の人はもっと何らかの手を打つべきだったのではないかと思う。

私が中学2年の時の2月に、もう引退していたが3年生が暴力事件を起こした事があった。

当日私は風邪をひいてしまい学校を早引きする為に歩いていると野球部の顧問の先生が血相を変えて走っていったのを覚えている。

まさかそんなことがあったとは知らずに「まあ、自分は印象が薄いから相手にされなったのだろう」と思っていた。

翌日から2日間ほど休んだ。

かなり熱がありしんどかったが、親は二人とも働きに出ていて昼間は誰もいなくなる。

もちろん部活の練習にも出る事もない、パラダイスだった。

「このまま一週間ぐらい治らなかったらいいのに」と思いながら喜んでカップラーメンを食べていると、お昼のニュースで「昨日、下関の中学校で暴力事件がありました」という。

「あほな中学校があるなぁ」と思いながらラーメンをほおばっていると、見覚えのある校門が映し出され校長がインタビューを受けていた。

その瞬間ラーメンを食べる私の手が止まった事を記憶している。

「えっ、まさか」と思うと共に自分の通う学校でこのような事があるとは思わなかった。

私が休んでいる間にマスコミが押しかけ、インタビューをされた同級生もいたし3年生は親も呼ばれて集会を開いたと聞いた。

学校に行くと「お前休んでてよかったぞ」と友達が言っていた。

2月と言えば高校入試シーズンで、事件を起こした人も高校に入れそうにないからやけになったという事だった。

「それならもっとまじめにやればいいのに、勉強もせずに部活に出ても菓子を食べたり煙草を吸っている様では行く高校などあるはずがない」

と思ったが、私も人の事を言える立場ではない事がこの時は分かっていなかった。

 

いろいろありました5

2019-03-31

 小学6年になり卒業が近くなると卒業アルバムの制作をする為に作文を書いたりした。

作文を書くのはよかったが将来なりたい職業を聞かれた時は「自分は勉強できないし、あまり知的な職業を言ってもなぁ」と思い、なんと答えるかかなり迷った。

頭の中では獣医師になりたいと思っていたが、「まあバスの運転手か何かにしておいてくれ」と言ったら本当にそうなっていた。

小学生の夢なのだから自分のなりたいものを言えばいいのに、それが言えなかったというのが私のその時の心境を物語っている。

この頃は現在の職業についたりするとは全く考えていなかった。

中学に上がるので、それまでしていた習い事を辞める為に先生の所にあいさつに行った。

私の思い過ごしなのかもしれないが、どの先生も親が「中学生になるので勉強が大変になるから」と言うと「そうですねぇ」と言いながら「お前の子供は勉強が出来る様になるのか」と言う目をしているような気がした。

今、思えば環境が変わるのがちょうど勉強などを始めるいいチャンスだった。

子供には何をどうすればいいのか分からないのだから親は「野球なんてしなくてもいいから勉強しろ」と言うべきだったろう。

中学の勉強ができるようになるには小学校の勉強からやり直さないといけない。

とても部活をしながらでは無理なのは分かりそうなものだった。

しかし、実際には野球をやめる事など全く考えていなかった。

野球部の練習時間は長かった。

他の部活が5時になると終わって帰宅する中、野球部だけが暗くなるまでグラウンドに残っていた。

夏休みの間もほとんど休みがなく、午後の1時半ごろから6時過ぎまで練習をしていた。

立っているだけでも暑くて汗が出る中をユニフォーム着ての長時間の練習はかなりこたえた。

くたくたで歩けず帰る時も休みながら帰った事があった。

水を飲む以外は、そうめんぐらいしか食べられないほどだった。

当然の様に勉強どころではなく、疲れてすぐに寝てしまっていた。

今考えると自分がしていたことながら、なぜこの様な事をしていたのだろうと理解できない。

部活の事が気になり勉強どころではなく、授業も上の空で聞いていた。

他の野球部の人も「学校は部活をする為と給食を食べる為に来ている」と言っていた。

授業中に居眠りをする者までいた。

私も親も言いなりになるのではなくもっと「勉強をしたい」と言えばよかった。

他の教師も野球部に勉強ができる人が少ないという事は分かっていたと思う。

監督の人に「少し練習時間を短くして勉強をさせる方がいいのではないか」ぐらいは助言する人はいなかったのだろうか。

その監督の人に気を使って言えなかったという事なら「そんなことを言うぐらいならほっておこう」と考えたという事ではないか。

中学生の子供には何も分からない。

分からないから教えてもらっている。

周りの親や教師が勉強をするように勧める様にしないと、子供の将来を左右する事になる。

当時の私の親と担任の教師、野球部の顧問はそのことがどのくらい分かっていただろうか。

いろいろありました4

2019-03-30

 小学5年生の時は、ソフトボールで優勝をするなどしてよかったが、6年になるとあまりいい結果を出せなかった。

覚えている限りでは10点以上取られた試合があったし、せっかく途中まで勝っていたのに私のエラーで負けた試合もあった。

よく遊んでいた同級生に「悔いが残った」と言われた。

「俺が頑張ってきたから勝てた試合もあっただろ」と思うものの何とも言えなかった。

ピッチャーをしていて野手の人がエラーをすると「なんで人が一生懸命に投げているのに足を引っ張るのか」と思ったことが何度もある。

しかし、直接本人に文句を言ったことはない。

本人が一番気にしているだろうし、勝ったところでプロの様にお金をもらえるわけでもないし進学や就職にも何の関係もない。

文句を言うほどの事でもないのではないかと思う。

一生懸命にやってそれでうまくいかないのなら仕方がないし、生きていく上で特に影響もない。

「負けたものはしょうがない、すぐに忘れて遊ぼう」でいいのではないか。

そもそもスポーツをいやいや始める人はまずいない。

せっかく楽しもうと思って始めたものを辞めたりする事になるのは、周りが「お前のせいで負けた、もう野球をやめろ」などと言うからだ。

他のチームと試合をして勝とうと考えたり、チーム内での競争をするからもめる。

プロ野球がよくもめるのは当たり前で人を競わせるからだ。

競争相手はチームメイトでも自分の邪魔をする人でしかない。

エラーをしたらその人のせいで負けたと考えて文句を言う事になる。

プロがそういう訳にはいかないとしてもスポーツは本来みんなが楽しむものだ。

「下手でもいいじゃないか」と言ってみんなで笑いあってこそ始めた意義がある。

そう考えると、草野球が本当のスポーツの形だろう。

仕事や勉強など嫌でも人と競わないといけない事はある。

それ以外で人と競争する必要はない。

相手の不幸を願うギクシャクした社会になるだけだ。

日本人はどうも人と比較したり競争する事を好む。

他の人と比べてここがこの人と自分は同じという所は一か所もないと言われている。

どちらが頭がいいか背が高いか、ハンサムかかわいいかなど常に相手と自分を比べて「自分はここが劣っている」と思いコンプレックスを持ったり相手をうらやんだりする。

競争社会は国の方針なのだろうが、もうちょっと自分は自分、人と違って当たり前と思ったら気持ちが楽になる。

人より頭が良くて背が高くてハンサムで性格が良くて・・・そんな人めったにいないし会った事もないし。

相手を蹴落とすのではなく、その人のいい所を尊重できる「気にするな誰でもうまくいかない事はある」と言える社会になれば野球の試合の勝ち負けでもめたりする事などない様になるだろう。

« Older Entries

トップへ戻る

電話番号リンク 問い合わせバナー